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気づきを生かし、こころ整理して、人生右肩上がり

女の綺麗は40~50代から、ぐっと差がつく!!

本日、わたくし、美容DAYでした。

サロンでエステティシャンとお話したこと。

「諦めたら終わりますよね~」って。

「諦めてる人多いですよね~」って。

「継続が大事ですね」って。

 

これ、美容だけではなくて、実はすべてのことに当てはまります。

ほんと、わたしの場合は美容とおしゃれに時間とお金を使うのは【気分良く居たい】ただそれだけなんですけど。

同じ生きるなら楽しく、気分良く、生きたい、という、自分の価値観なんですよね。

 

女性は40~50代になると、急激に身体の変化がありますね。

俗にいう「更年期」と呼ばれる期間ですが、結婚して家庭を持ち、お子さんがいらっしゃる方などは、ちょうどお子さんの進学の時期だったり、思春期や反抗期、かもしれませんし。

親の介護の時期、ということもあるかもしれない。

とにかく、人生における、変化の時期だと思うんですよね。

 

女性は男性よりも、家庭内に属する時間が長い分、どうしても家族などの、自分以外のことにも影響されやすいですよね。

自分ばかりにお金や時間をかけたり、自分だけに意識を向けることは、難しい方も多いかもしれないと思います。

いまでこそ、わたしは自分のためにお金と時間を使えますけど、10年くらい前までは、なかなか難しかったですよ。

たまたま子供産んだのが早かったので、今自由ですけれど。

息子が大きくなってやりたいことやれるようになったら色んなことやろう!って思って、辛抱してきたんです。

 

でもね、わたしは、自分以外に大切なものがあり、自分以外のものにお金や時間をかけ、悩み、苦しんだとしても、そのご経験や、費やした時間、日々は、確実に、ご自身の、『経験』という尊い財産となり、温かい雰囲気や、慈愛に満ちたまなざし、見守る気持ちや、お気遣い、自制心、包容力など・・・

【目には見えないけれどたしかに感じることのできるその方らしさという魅力】に、なっていると思います。

それは、絶対に絶対に年齢を重ねないと、継続して積み重ねないと、出せない魅力です。

 

そして、女性にとっての40代、50代というのは、誰しもがバランスが崩れやすいときですから、逆に言うと

【きちんと自分自身に目を向け、対処した方が、もっと素敵な自分になれるチャンス】だと思うんです。

 

若いときは、ただいるだけで、ピカピカして、肌もつるんとして、綺麗です。

それは当たり前であって。

40~50代からの綺麗さは、そういう若い時の綺麗とは違う。

なにか目には見えないけれども、積み重ねたもの、継続しているもの、生き方、というのが、透けて見えてくるものだと思いますね。

 

だから、顔の造作や、姿、形ではない部分で、若いときの自分よりも、素敵に、綺麗にいられることも十分可能なんじゃないか、って、わたしは思うんです。

目に見えないものは、分かる人には必ず分かる。

そんな風に、わたしは思うんですよね。

 

冒頭で、サロンのエステティシャンと話した「継続が大事ですね」ってお話し。

マジで、これだと思うんです。

 

継続って、もちろん、どんな化粧品を使うか、どんな美容をしているか、どんな美顔器を使ってるか、そんな話だったとは思うのですが。

でも、私が思うに決して美容の話しだけではなくて。

 

食べるもの、使う言葉、日々の選択の数々。

日常の何気ない過ごし方。

行っているお店、触れてる素材、目にしている色、テクスチャー。

いつもいつも思ってること。

無意識に思ってること、心の声、いつも思い出す光景。

 

何を積み重ねるか。

継続って、そういうことじゃないかと、わたしは思うんですね。

その方のまとう雰囲気や、肌の感じやふとした表情って、そういう、目には見えないものが大きく影響していると思いますね。

 

もっと素敵になりたい方。

もっと自分らしく綺麗になりたい方。

あなたがもっともっと輝くために、あなたが気づいていない良さ、素敵さ、素晴らしさ、気づくお手伝い、引き出すお手伝い、できます。

 

心が変わると、表情が明るくなり、雰囲気が柔らかくなり、間違いなく素敵になり、みんな、べつに望んでなくてもモテていっちゃうんですよ笑

心が整理されると、ファッションや、言葉使い、しぐさ、、、いろんなところに意識を使えるので、人間的魅力が増すんです。

それは、疑いようのない、事実です。

 

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「依存の人」は要注意

昼にブログのネタを書いてましたけど、急遽内容変更して書いてます。

決して責めるつもりも、ダメだというつもりも、全くないのです。

わたし自身、以前は依存傾向があったと思いますから、責めるなんてとんでもないことです。

ただ、今は、「依存がある方」と、分かった時点で、すーーーと距離取りますね。

害があるから、です。

 

まず「依存の人」ってどういう人だと思いますか。

「依存症の人」とは違うんです。依存症まではいかないんですけど。

定義付けるならば「自分の感情の責任を取れない人」であり「「素の自分」だけで気分良くいることが難しい方」です。

 

依存のある方の特徴。

依存がある方は「~させられた」と言います。

「~と言われた」「~な気分にさせられた」「誰誰がこうしたから、仕方ない」とか。

こうされた、ああされた、って言ってしまうのが特徴です。

感情は、自分のものなのに。

自分しか、自分をいい感じに運べないのに。

誰かにこうされた、ああされた、と「他人のせい」にするのです。

 

そして、一人でいられない。一人で気分良くいられない。

何かが心もとないのです。自分一人では不安。楽しくない。

誰かの目が気になり、一人で外食できない、ってこともあるかもしれません。

 

人を振り回してることに、気が付いていないのも特徴。

「言うべきことを言えない自分」なのに、「察してくれない」などと、のたまう。

ミスコミュニケーションが起きたり、やってほしいことをやってもらえないと、「相手が悪いせい」になるのです。

自分が、嫌われたくないから、誘われたときに、行けない理由や、状況を、きちんと伝えられない。

いい返事だけしといて、連絡しない期間をもうけることで、暗に「行きたくない」ことを知らしめようとして、「伝えたつもり」になっている。

相手がどう思うか、想像できない。自分と違う考えをするということ自体、想像の範疇に、ない。

そして、迷惑をかけていることにも気づいていない。

 

思い当たることがある方、、、、いらっしゃいますか。

人は、なるべく自分に被害を被りたくないですし、迷惑かかってたとしても、伝えることで、自分に怒りや攻撃の矛先が向かうのがわかりますから、言わないんですよ。

夫婦関係、恋愛関係、職場など、人間関係で、うまくいかないので、ご自身が一番分かっているはずなんです。

だから、人のせいにしてばかりで、自分の問題と、いつまでも気づかなかったとしたら、かなりやばいです。

 

でも、大丈夫です。

変わりたければ、変われます。

過去のわたしがそうでしたから・・・・

なので、どうやったら変化していくか、よーーーくわかってます。

そのわたしがお付き合いして、本当の幸せ掴むまで、どこまでもサポートします。

 

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失敗や痛い思いから、大切な自分を守る正しい方法

生きていると、嫌なことは避けられないし、新しいことをやってみれば上手くいかないことだって、当然あって当たり前のことですよね。

 

でもやっぱり嫌な思いはしたくない、と、どうして避けたくなってしまう、逃げたくなってしまう、というのが人の心。

 

でも、避けたり、逃げたりしていては、、何かを成し遂げることが難しくなりますし。

時に、環境のせい、職場のせい、家族のせい、相手のせい、と、なにかのせいにしてしまっても、もっとうまくいかなくなるだけ、ですしね。

 

失敗した時や痛い思いをした時・・・または嫌な人がいた時とか、どうやって大切な自分を、自分の気持ちを、守ってあげるか。

書いていってみたいと思います。

 

まず一つは、「意識して」「自分を」「守ろうとする」ことが大切、ということ。

 

それから「自分一人でやっていく」ということ。

誰かに慰めてもらうとか聴いてもらうこともいいとは思いますが、いつでも、自分が自分をケアしてあげる意識を持つことがいいかと思います。

なぜなら、やればやるほど、自分をわかってあげられるし、守り方も、上達していきますから。

 

失敗や、痛い思いって言ったって、いろんな例、シチュエーションがあるとは思います。

 

わたしの例をあげさせていただきますと。

わたしは2015年に安定した公務員を辞めて、自分のやりたいことで生計を立てることにチャレンジしているのですが、世の中色んな方がいらっしゃいまして、女だから、ってなめてくるような方もいますし、肩書も、何もないわたしを、低く見てくるような方もなかにはいらっしゃいます。

今ではそういう方と出会えると「自分を成長させてくれる方だ」と思えるようになってるので、会った瞬間すでに突破しているのですが笑

 

例えば上から目線で偉そうにしてくる方とか見下げてくる方に出会ったり、日常で接する必要があった時。

「わたしはいま、こうして肩書も何もないけれども、いままで仕事を一生懸命やってきたよね」

「仕事しながらも、子育てもしてきたよね。よく頑張ってきたよ」

「仕事も辞めたいと思いながらも子供が大きくなるまで辞めずによくやったよ。偉いよ」

「上から目線っていうのは本当に嫌な思いをさせることだ。どんなに偉くなったり地位が上がったとしても、この人みたいには決してならないようにしよう」

こんな感じで、【自分に声をかけてあげる】ことをやっていきます。

 

または、チャレンジして失敗したときなどは。

「やろうと思ってやったことが素晴らしいことだよ」

「諦めなかったらいいんだから。またやっていたらいいよね」

「やってみたこともない人に、大変さとか気持ちなんてわかるわけないんだから、笑われたとしたって逆にその人の人間性を疑うわ。少し距離取ろう」

と、【「結果」ではなく「過程」に目を向け、チャレンジした自分をほめてあげる】

 

それから役職がないことや、40代以下、などと年齢で切られたり、女性だからNG、男性だからOKなど、そんなことでみじめな思いをしたりすることも、あるかもしれませんが。

そういう時は【自分というもの】の部分と、そうでない部分を分けて考えます。

要するに、

年齢、性別、肩書など、状況によって変わってしまうもの=【自分以外のもの】と認識する。

つまり、「わたし」という人間でなかったとしても、同じ条件の人は、そういう扱いを受けるのだし、と、「わたしというもの」のせいではないと、考えることで守ってあげる。

 

あまりないこととは思いますが、人格否定をされたり、個人的に攻撃を受ける場合も稀にあるでしょう。

そういう時は、断固として怒りを表すことも大事。

 

「怒りを表す」ことと、「怒りの感情をぶつける」ことは、全く別物。全く違うことです。

「怒りの感情をぶつける」ことは、結局ブーメランのように相手に投げたとおもっても、自分に還ってきてしまいますから、あまりいいやり方ではありませんが。

怒りを表す=【怒ってることを伝えること】は、自分を守るために必要な場合もありますね。

 

上に書いたことは、わたし自身が自分自身にやっていることであり、クライアントさん方にもセッションの時にお声がけさせていただいてるような内容です。

 

コーチからかけてもらえる言葉が、言霊となって、その方を守りますし、ずっと自分を守る言葉かけをしてもらえることで、自分への言葉かけも上手くなっていくんです。

 

よくあるやり方として、誰かと比較して「あの人よりは上手くいってるし~」と思おうとしたり、「あの人よりはまし」なんて思おうとしても、自分より上手くいってる方は世の中ごまんといますから、外に目を向けほかの人と比較する、という「比較癖」があると、「人の目を気にする」癖や「優劣思考」から逃れられませんので、結果的に自分自身が苦しみます。

また、「プライド」というものだけが高くなってしまって、無意識に優劣で人を見下げたり、人によって態度を変えるような、人間的な質の悪い人になっていってしまいます。

 

 

ぜひご自分なりに納得いく言葉かけで、大切な自分の気持ちを守ること、試してみてくださいね。

 

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「言いにくいことが言えない人」から「うまく伝えられる人」へ!

ずばりタイトルにしてしまいましたが、「言いにくいことが言えない人」は多いです。

 

例えば、相手の好意を感じる場合。

 

「~してあげましょうか?」

「これ要らないので、あげますよ」

「今度〇〇にご一緒しませんか?」

 

悪気があるどころか、自分に対しての好意そのもの、なのだけれども、どうにも気が進まない。

どう言えばいいのだろうか?・・・・と考えてるうちに機を逃し、断れなくなってしまった。

 

または、本当に断りたいのだけど、相手との関係にひびが入ってしまうのではないかと思うと、断るに断れない、だとか。

 

あとは怖がりの方に多いのが、相手を怒らせるのではないかと思ってしまって、言えない。とか。

 

クライアントの方にも多いのですが、言いにくいことが言えない方というのは、罪悪感を持ってる方が多いですね。

「断ったら申し訳ない」

「断ることが悪い」と思ってしまうのですよね。

 

そんな方に、まず知っておいていただきたいことが、「断る」ということは、悪いことは何もない、ということ。

むしろ、断りたいのに、断らない方が、迷惑をかけてしまうことだ、ということ。です。

 

そして、「断る」ということは「ただ自分の都合を伝えるだけ」のこと、という単純なことだと理解していただきたいですね。

 

「物は言いよう」という諺があるとおり、伝える必要があるのに、口をつぐんだりしてしまいますと、誤解を与えたり、かえってがっかりさせることになったり、はたまた好意を無下にしてしまうことになってしまいます。

なので、【我慢して合わせる】よりも【何をどう伝えるか】がめちゃくちゃ大事です。

 

 

ここから先は伝え方のレッスンです。

 

上手くいく、公式があります!

 

「ポジティブな気持ち」+「都合を言う」=「言いにくいことも伝わる言い方」!

 

例えば、誘われた時などは

「ありがとうございます!お誘いはとてもうれしいのですが、あいにくその日は~で、都合がつかないのです」とか

「めちゃめちゃ行きたいです!・・・でもごめんなさい、先約があって、その日行けないんです」

 

自分には必要ないし、要らないと思う時は

「お気遣いいただいてとても有り難いです。でも、わたしにはもったいなくて無駄にしてしまいますので、是非どなたか必要な方にお渡しくださいね」とか・・・

 

「ありがたい」「嬉しい」「行きたい」とポジティブな気持ちを伝えたうえで、合間に柔らかいクッション言葉を使い、都合が悪いことを伝える・・・だけ!!

 

そこで重要なのが、ポジティブな気持ちがない場合。

嘘でもいいんです。

ポジティブな気持ちを感じてなくても、誘ってくれた有難さや、自分に気にかけてくれた優しさが嬉しい、など、言えばいいだけなんです。

「優しい嘘」というものもあるんです。

本当のことを言うことがいい事ではありませんし、相手を立てて、気遣う、という優しさもあっていいと思います。

 

練習すればするほど、言い方も上手くなりますし、対処できる人になって行きます。

コーチングセッションでは、その方がどんな気持ちでどうしたいのかをお聞きして、最適な言葉をご一緒に考えて、いつ伝えるか、どう伝えるか、そんなところまでやっていって、そして実際伝えた後のフィードバックまで、言ってみてどうだったか、結果と相手の反応と、その方がやってみての感想までお聞きしていきます。

 

やってみてうまくいかなかった方はそうそういらっしゃいませんし、皆さん、言えたことで、スッキリした気持ちで晴れ晴れとしていきます。

 

そしてやればやるほど、どんどん成功体験も積み重なって、言いにくいことが言えなかった人でも、「うまく伝えられる人」、「上手に断れる人」になりますよ。

 

どんなこと、どんなシチュエーションや内容でも、伝えることは大事なことです。

上手く伝えられるようになることで、人間関係が円滑に回り始め、人間関係が面倒と思わなくなっていきます。

 

Irieのライフコーチングで人間関係の達人に!↓

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自分以外を生きる人生に意味はあるのか

ちょっと風邪ひいちゃいまして、鼻水出るし早く寝たいんですけど、これだけは書きたいかなと思って書いてます。

 

最近、約50年も逃亡していた過激派組織「東アジア反日武装戦線」のメンバーであった桐島容疑者のニュースが話題となっていますが。

事件はわたしが生まれて間もない頃ですよ。だから全く知らなかったですけど。

感じずにはいられないものが、ある。

 

犯罪を犯しているのに、償うものを償わずに潜伏し続け、逃亡し続けたことは、事件に巻き込まれた被害者の方やご遺族、ご親族の皆様には無念でしかないのではないかと思うと、、、言葉がありません。

 

犯罪を犯した者を擁護する気持ちもないし、どんな人生を生きようと、わたしには正直知ったこっちゃないんですけど。

 

事件でさえ、最近まで知らなかった、一部分しか知らない、わたしが論じるのは身の程知らずなのかもしれないんですが。

 

ただ、思うこと。

感じるのは「自分を生きたかったんだろうな」って。

本当の自分を隠し、かりそめの自分を生きて、50年。

その間どんな気持ちだったのかな、って。

わからないながらも、想像してしまいますね。

 

うーん。

いつもびくびくして、いつばれるか、いつ捕まるかわからず暮らして、幸せってあるのだろうか。

俺は逃げ切ったぞ、って、思えたのだろうか。

自分の名前ではない名前でいて、内向きに内向きに、、そんな人生、意味があるんだろうか?

 

否、そうでないからこそ、最期に実名を名乗ったのだろう、と。

わたしなら自首するかな。そもそもそんな犯罪しませんけど。

 

きっとインテリな方なのだろうと思うんですよ。

本当ならもっと世の中の役に立つ仕事なり、生き方なり、出来たんだろうと思うんですよ。

 

潜伏生活で、罪を償わず、逃げ切った、という見方を大方の方はするのかなと思うんですが。

わたしは、死ぬ間際に実名を名乗った、ということが、人生の辛さ、もの悲しさを物語っているような気がしている。

 

容疑者が亡くなってしまって、事件の真相は闇に葬られ、浮かばれない方々もいるでしょう。

容疑者側に立つのも、おかしな話なのかもしれないけど、わたしは、容疑者は罪を償ったとはまったくもって思わないが、でも、罪は背負って生きたような気がする。

真偽はわからないけれども。

でも最期に実名を名乗った、という事実が。

自分という人間を、生きられなかった、かりそめの人間で生きた、という、罪償いを、彼なりにしたと思いたい。

 

この事件から、【自分の人生を生きる】大切さを、改めて感じられた気がする。

 

 

 

 

 

「夢」や「目標」を持つことの意義と心の成長段階

いつもわたし自身が感じたことを書いてはいるのですが、本日も、今さっきから深く実感していることを書いていってみたいと思います。

 

「夢」や「目標」は持った方が、自分の人生全体で見たときに、結果的にはいい方向に行きますね。

 

どういうことかと言いますと。

わたしはいま、確定申告をやらなくてはいけないのに(提出期日があるので)、ついTVをぼーっと見てしまったり、SNSを見てしまったりして「いかんいかん」「今これ見てる場合ではない」と自制するんですよね。

わたしにはやりたいこと、将来こうなりたい、という目標となる姿がある程度明確にありますので、確定申告が終われば、またやっていきたいこともありますから、そこでもたもたしている場合ではないな、ということを肌で実感しています。

 

要するに、「夢」や「目標」があることで、今やるべきこと、また今後どうするべきかも、おのずと見えてくる。

そう思えることで、その時々の欲や、ふらつく気持ちもまた、軌道修正したり、正せるわけですね。

 

お金だってそうですよ。

あ~服欲しいな~とか、髪型変えたいからカリスマ美容師のところへ行って、イメチェンしちゃおっかな~!

・・・な~んて、頭に浮かんできたりして、お金を使いたくなったりしてしまうのですが、先を考えたときに、やりたいことがある、なりたいもののために資金がいるかもしれない、だから「いかんいかん・・・」「いやお金使ってる場合じゃないでしょ」「優先順位で考えたらもっと使いたいこともあるでしょ・・」と、理性が働き、今あるお金を大切にしよう、と自制できるわけです。

 

わたし自身が、そうだな~今から20年前としましょう。

20年前はまだまだ子供が小さいこともありましたが、その日その日を生きるので必死でした。

親一人、子一人の母子家庭でしたので、毎日が忙しくて、自分自身のことだけに時間を割けるわけでもなかったですよね。

たまに時間が出来れば、どうしても、気分的にゆっくりしたくて、ファッション雑誌を見たり、買い物に行ったり、次の髪型どうしよう、とか、おしゃれすることを考える方向に時間を使っていましたね。

 

当時はYoutubeTikTokのようなSNSもないので、、、

当時あったなら、、間違いなくそのようなものを見ていたでしょうね。

 

当時のわたしの場合は、買い物依存傾向が強くありましたので、洋服やバック、靴、アクセサリーなどの小物等、そういうものにお金を使ってしまったりしていましたよね。

借金して使ってたりするわけでもないので、それ自体が悪い事でもなんでもないとは思うんですけど。

 

でも今思えば、本当に生産性のないことを続けていたなあ・・・とつくづく思うわけですよ。

生産性がないというか、無駄遣いですね笑 無駄だらけ。無駄オンリー笑

その時々の流行りの格好をして、買ったその時は気分がいいかもしれないけれど、見慣れたり、飽きたりすると、また違うのが欲しくなって・・・の繰り返し。

いくらお金があっても、エンドレスです。

【本当の満足】にはいつまでたってもたどりつかないわけです。

 

【「夢」や「目標」を持たなくてはいけない】と、「~しなくてはいけない」と思ってしまうと、ちょっと論点がずれてきてしまいます。

 

夢や目標は、「あった方が」いい。

あった方がいいけれども、状況的に、年代的に、「夢」や「目標」を持てない時期もありますし、「夢」や「目標」を必ず持っていなくてはいけないということでもない、ということです。

 

ないよりは、あったほうがいい、程度のことですよね。

 

そのうえで、なんですが。

「夢」や「目標」を持てない、考えられない、分からない、と思ってしまう方は、ご自身の中に「自分の成長を妨げる何か」が間違いなく存在している、と、コーチとしての経験上、はっきりそう思います。

 

「夢」や「目標」を持つ、ということは、心の成長段階としてある一定程度に達していないと、考えられないものなのです。

 

多いパターンとしては、

・不安心、恐怖心が強い方。

「こうなりたくない」「こうなってしまったらどうしよう」と自己防衛本能が強く働きやすい方は「こうなりたい」などと思う方向の反対方向、ようするに自分を守る方向でしか考えられないので、未来に夢や目標などを持つこと、考えることが難しいです。

 

・損得や、優劣など、いわゆる二極思考が強くある方。

その思いが邪魔をして、夢や目標を感じ、考え、設定する時点において、ジャッジしてしまって夢などを持つことまでたどりつかない。

例で言いますと、損得思考が強い方だとしましょう、その方が、夢や目標を考えたときに、「いやもっと得することがあるのではないだろうか」とか、「その目指している間に損してしまったら、どうしよう」などと、考えてしまうことがあるようですね。

だから夢、目標を掲げたとしても、絵に描いた餅、【本当にやりたいこと】と心の中で思えない以上は、持っててもあんまり意味のないものとなってしまう。

優劣志向が強い、プライドが高い方だと、もし夢や目標を持ったとしても、叶えられなかったら、出来の悪い自分が露呈する、もしくは「自分はできない」と感じてしまうことがしんどいので、そのことを避ける。そもそも夢や目標自体を持つことを放棄し、不要だとか、あっても意味がない、などと言い訳をして、失敗を避けたり、自分を守る方向に思考が無意識に向くことがあるようです。

 

・生活するだけでいっぱいいっぱいの方。

20~30代のわたしがそうでした。精神的、時間的に余裕がないので、今の状況からどうなりたいなんて、描く時間もないし、想像すること自体がなかなかできません。

お金もなかったら、とにかく今あるお金でどう生活していこうか、ということで精一杯ですから、先のことなんて考える余裕はないですよね。

 

どう生きる、なんて自由ですし、こうしなくてはいけない、要するに「夢」や「目標」を持たなくてはいけない、ということは何一つない。

 

ただ、言えることは、この有限の、限りある人生を、悔いなく、自分が描く未来に、歩んでいきたい。

自分を成長させていきたい、もっともっと良くなって、幸福感、満足感に満たされる人生を生きたい。

・・・と思う方には、「夢」、「目標」は間違いなく必要なもの、と言えるのかもしれません。

 

なぜなら、効率よく、無駄なく、自分にとっていい方向に、人生の舵を切っていけるからですね。

ただそれだけのこと、なんですけどね。

 

わたしはコーチングと出会い、セルフコーチングできるようになって、幸せ感、充実感、満足感が爆上がりです笑

自分自身、本当に良かった、と思っているので、同じように思って「自分の人生よかったよくなっている」「コーチと、コーチングと出会えてよかった」と思っていただける方が、ただただ増えていけばいいな、と思ってるだけ、なんですよね。

 

だから、自分も夢や目標を描けず、無駄なことしてばかりきてたところから、今とっても良かった、と思ってるので、夢や目標を描けない方でも、お手伝いできますよ。

変わろうと思えば、マジで変われます。

 

変わろう。自分の人生良くしていきたい!と思えるかが大事です。

そう思えたなら、ベクトルの向きが、もう変わっていますので準備OKです。

 

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頭で知っててもダメ!「知識」が邪魔をする。

自分自身を成長させたい、もっと良くなっていきたい、と思ってる方のために書いてみたいと思います。

 

通常どんな方でも「自分」の心の中のことって、無自覚で無意識に感じたり考えたりしているわけですので、自分自身がしっかりと「意識」し、どう感じているか見ていかないと、どう感じ、考えてるかも自覚はできません。

 

ともすると、何か嫌なことがあったり、嫌な感情を感じたりした時に、その目の前の相手や環境など、その事実の発端の矛先を人や環境、物などのせいにしてしまいます。

 

「客観性」というものがあるか、客観視できるかどうかが、さらに自分自身を高めていけるかどうかにかかっています。

 

コーチングを始めていただく際、一番大事なことは「人のせい」「環境のせい」など「誰かのせいにしない」ということです。

 

自分の感情は自分のもの。相手やほかの何かにどうこうされてしまう、と思ってるうちは、自分の感情をコントロールできません。

 

その大前提の上で、なんですけどね。

「知識」が邪魔をする、というお話をさせていただきます。

 

心理学や、カウンセリング、コーチングのようなものって、人様に使えるように、役立つ自分になるためには、もちろん知識として知っておくべきことはあるのですが、それだけでは、あまり人様の役には立たないのです。

 

どういうことかと言いますとね。

例えばですが、輪島塗のような伝統工芸や、組紐のような工芸品の、製作過程、工程を見聞きし、学び、知ったとしても、実際に製作してみないことには、なにがどうなのか、どう難しくて、コツはなんなのか、大事な部分はどこなのか、など、分からないわけです。

「作り方や成り立ちを知っていること」と「実際に作れること」は雲泥の差があります。

 

輪島塗の例と同様に、心や精神も「成り立ちを知っていること」と「こころを使いこなせること」は全く別物です。

だからこそ、カウンセラーやコーチは、様々な経験をし、苦しみや、悲しさ、挫折などを乗り越えて、自分自身が変化した実感をしっかり「掴んで」いることが、なにより重要となります。

 

知識があることは、ないよりはもちろん、いいですけどね・・・。

ただ、「知っているから」といって「自分はすごい」と思ったり、なにか分かった風になってしまって・・・・すごいわけでもなんでもないのに、その「知識がある」ということが優越感を持つことや謙虚さを忘れることとなってしまっては、邪魔以外のなにものでもありません。

 

福祉関係に携わってる方に、無意識レベルでありがちなのが、「優越感に浸っている」というところです。

目の前の、関わる方を、無意識に見下げ、「出来る自分」に優越感を持つのです。

もちろん、みんながみんなじゃないです。でも、少なからずそういう方もいらっしゃるような気がしてます。

そういう方には、無価値感、劣等感が見え隠れしてしまっています。

 

若い頃はわたしも無自覚に、そうだったかもしれないのです。

だから誰かを責めたいわけでも、責めるつもりも毛頭ありません。

 

実際、クライアントさんでもそうなのですが、なにか自己啓発について、本を読んだりして学んできた方や、マルチマーケティングを深くやってきた方ほど、知識が思い込みのようにこびりついてしまって、変化しづらくなってしまっていたり、成長の邪魔になったりしているんですよね。

 

わたし自身、謙虚さも、なかなか持てなかった人間なんです。

だからこそ謙虚でいる、ということがどういうことなのかが掴んでいて、謙虚でない自分が頭をもたげてきたときに「気づく」ので、モグラ叩きのようにハンマーでぴょこんと叩きます。

 

コーチであるわたしが、たまたま「コーチング」「コーチ」という職種の領域において、心の中のこと精神について学んで、自分自身の生活において感情や思考を掴んで実践して、細やかな部分において気づけるように、またはどういうことなのかを自分自身で腑に落としていて。人様にもお役に立てるように、セッションの中で実践を積んできているだけ、ですからね。

他の部分においては、クライアントさんの方がプロですし、極めていて、かなわないところももちろんあるって、そう思っています。

 

「知識」を「知識」だけで終わらせるのではなく、あなた自身の中で実際に使いこなせたときに、本当に変わってくるのだろうと思います。

 

「行動することからよくなっていく」ってそういうことですね。

 

 

自分を変化させること・成長していくことにご興味ある方、体験セッションもやってます↓

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